神奈川県議会議員 鈴木ひでし 鶴見区選出 公明党

「戦いすんで、日が過ぎて』 衆議院選挙戦考 (3)
マニフェストと政策実行の乖離?

9月22日の読売新聞に『「八ツ場」再登場なぜ」という見出しで、八ツ場ダム中止は、なぜ民主党の目玉政策となったのか。その舞台裏を検証していた。

民主党がマニフェスト(政権公約)で建設中止を掲げた八ツ場(やんば)ダム。05年のマニフェストに「ムダな公共事業」の代表として登場したが、07年のマニフェストではいったん消え、今回の衆院選でまた復活していた。
前原国土交通相は23日の現地視察を前に、地元の理解を得るまでは中止の手続きを進めないと配慮をみせたが、中止の方針は変えていない。

昨年夏、鳩山民主党幹事長(当時)は、同党の国会議員らとダム予定地を視察した際、水没する川原湯温泉の旅館で昼食をとった。この時、旅館の経営者は、地元住民の代表とともに鳩山首相らと話をしたが、「“ダム中止”の一点張り。全く聞く耳を持たない感じだった」と振り返る。
その後、鳩山氏は記者会見で「無駄な事業が行われていることは看過できない。時期衆院選のマニフェストにも盛り込む」と正式に表明した。

04年に市民団体が、1都5県で自治体の負担金支出の差し止め請求訴訟を相次いで起こしたことを受け、「象徴的なムダな公共事業という意見が党内で上がった」(民主党職員)ことがきっかけだったという。党内に発足した八ツ場ダム検証プロジェクトチームは現地視察の結果、「工業用水や農業用水などの需要が減り、治水面でも代替手段が考えられる」と判断し、建設中止をマナフェストに掲げた。当時、この議論にかかわった同党の佐藤謙一郎元衆院議員は「地元議会の合意は得られていなかったが、半ば強引に押し込んだ」と打ち明ける。
ところが、07年7月の参院選前のマニフェストからは、八ツ場ダムの文字が消えた。理由について、佐藤元議員は「私を含め、この問題に取り組んでいた議員が、05年衆院選で軒並み落選したためだろう」と話した。

一方、この参院選で、八ツ場ダム問題に熱心だった候補者らが当選すると、この問題が再び党内で活発に議論され始めた。鳩山首相も07年以降、超党派の議員で作る「公共事業チェック議員の会」の会長を務め、ムダな公共事業に対する関心を高めていた。こうした流れが、鳩山首相による昨年8月のマニフェストへの“復活宣言”に結びついたとみられる。
川原湯温泉旅館組合長は「マニフェストに載せたり載せなかったりしたのは、中止について真剣に考えていないとしか思えない。今回も選挙戦略でポンと載せただけという印象。なぜ住民の意見を聞かずに決めたのか、マニフェスト策定のプロセスを明らかにすべきではないか」と話している。』と書いている。※(変遷の様子は以下に)

なぜ、このように長く新聞の文章を使ったかというと、本当に各政党が出したマニフェストを、国民と選挙民が100%「民意』『約束』として捉えているのであろうかということと、選挙ごとに変わるマニフェストなどあるのかということだ。

それよりも私がマニフェストに対して疑問に思うものは、以下の点だ。

  1. (1)4年間もの長い間に行う優先順位としてどうなのか?もし、社会が何らかの原因で劇的変化が起こった場合、また地震などの天災にあった時はどうなるのか?
  2. (2)本当に、選挙民ひとりひとりがマニフェストを読みきり、理解して投票をしたと思うのか?

マニフェストという言葉には、私自身、県議会議員となってから何度、納得いかない事象に出合ったことか。なぜならば、松沢神奈川県知事が、何かあるごとに『マニフェストは県民との約束事だから』という言葉を使うことだ。

国民は忙しい。全ての人がマニフェストを読むなどということは考えられないし、リーマンショックが起こり、一年間で景気がこれだけ悪くなる時代。4年という月日の中で中身を再度吟味しなければならないことが多々出てくることはほぼ間違いないのではないかと思う。早速、「子ども手当」「高速道路の無料化」についても、賛否両論の意見がここかしこで議論が起こり始めている。

私はマニフェストを否定するものではない。かえって、政策選挙の走りとして評価をしたいくらいだ。しかし、マニフェストが政権公約だから、書かれていることを政権党が全部やるのだ、と本当に思っている国民が何人くらいいるのであろうか?
それを裏付けるかのように、最近のNHKの調査で、国民が民主党に投票した理由は、自民党への不満が52%、政権交代への期待が25%、マニフェストはわずか10%であると伝えている。

マニフェストと政策実行との関係性が問われる数字だ。

(続く)
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