神奈川県議会議員 鈴木ひでし 鶴見区選出 公明党

世界の大転換が始まるのか?

本日、朝日新聞を読んでいて面白い記事を目にした。インドのタタ・モーターズが発表した世界最安の車、「ナノ」11万ルピー(約22万円)に朝日の記者が試乗体験をした記事だ。
各種のメディアが報じているようにコスト削減のためにドアミラーは運転席にある右側だけ。ワイパーも一本、もちろんエアコンなどはありえず、計器類もスピードメーターと燃料の残量を示すもの意外は無い。
朝日の記者に言わせると「オート三輪に毛の生えた程度」のものだと思っていたが、披露されたのは立派な乗用車だったようだ。そして記事も『タタ会長は6年前、二輪車に3人も4人も乗せて雨の中を走る家族の姿を見て「庶民でも手の届く車を。」と心に決めたという。安全性や耐久性は未知数。日本車に乗り慣れた記者には欠点も目につくが「この値段で、よくぞここまで開発した。」というのが素直な感想だ。』と全体としては評価する形で終わっている。
この記事を読んでいるうちに、ふと昨年末に読んだある雑誌に登場した有名なマイクロソフト社のビル・ゲイツ氏の特別寄稿の内容が気になった。気になったと言うよりは、ゲイツ氏の言っていることに世界は近づいていくのか、と思ったことだ。それは昨年アメリカのタイム誌に載った「貧困をなくすためにわたしたちができること」(Bill Gates on Creative Capitalism)という寄稿文だ。
この中でビル・ゲイツは貧困や疫病に苦しむ人々を、どうしたら救うことができるのか?それは単純な「慈善活動」だけでは、解決できない。彼が見つけ出した結論は“創造的資本主義”という概念だった。
彼は、その文の中で資本主義は膨大な数の人々の暮らしを改善してきたが、その一方で、資本主義の恩恵から取り残され10億人に上る人々、すなわち一日1ドル以下で暮らし、栄養豊かな食べ物を十分にとることさえできない人間を生み出してしまったことを指摘する。そして、その人々を救うために企業の力が必要だと述べ、その企業が持つ力を最大限に引き出すには、もっと創造的な資本主義が必要だと説く。それを創造的資本主義とビ・ゲイツは呼ぶ。
創造的資本主義をより簡単に述べるならば「別に画期的な経済理論ではない。そして、資本主義と対立するものでもない。それは、いったいどうすれば、最も効果的に資本主義の善を広め、これまで取り残されてきた人々の生活水準を改善できるか、という重要な問いに答えるものだ。」と、また「企業巻き込むには、当然のことながら、何かしらの収益を稼げるようにしなければならない。これが創造的資本主義の核心だ。創造的資本主義とは別に企業にもっと慈善事業にかかわらせたり、もっと善行を積ませたりするというものではない。それは企業に、もてる専門能力を新たな方法で生かすような動機を与えるということだ。」と述べている。
具体的な事例として彼は、企業が見過ごしている市場が世界中にあることを述べて、ある調査によると、世界人口の所得下位に位置する3分の2までの層が、合わせて5兆ドルの購買力を持っていることを挙げ、「市場原理が開発途上国になかなか浸透しない最大の理由は、こうした市場のニーズを企業が十分に調べていないからだ。」と言う。そしてビル・ゲイツは、「例えば、資格インターフェース技術等を通じて文字が読めない人でも最低限の訓練を受けただけで、すぐにコンピューターを利用できるようにするなどのプロジェクト。他にも教室いっぱいの生徒がみんなで1台のコンピューターを使えるようにする技術の開発にも取り組んでいる。これは一人一人の生徒が自分のマウスを使って移動によって識別された自分のカーソルを利用できるようにするもの。これによって、50人もの生徒が同時に1台のコンピューターを利用することが可能になる。これは多数のコンピューターを、購(あがな)えない学校にとって大きな進歩だ。そして、それによって私達が以前は見過ごしていた市場に奉仕できるようになった。」と書いている。
私は、この寄稿文を読んでビル・ゲイツの“さあ、世界を変えよう”との意気込みに胸を打たれたのと同時に、マイクロソフト社のビジネスの世界から慈善事業の世界へ入った彼が、20世紀の偉業とまで言われたウインドウズをはじめとしたコンピューターソフトの先駆者として成し得た力を、そのままのパワーで世界の弱者救済に走り続ける夫妻の姿に感動をした。今まで長く原文を引用してきたのも、具体的な救済の術を現実の資本主義の世界から提言をしていることに、大事な意義があると思ったからだ。
先に述べた、インドのタタ・モーターズの「ナノ」自動車の製作の由来がタタ会長の「弱者を何とかしたい」という思いからであると記事には書かれてあるが、その思いはビル・ゲイツが今まで述べたことと何ら変わらない資本家の善の思いがあったのではないかと思う。先日の新聞にも、この秋インドで10ドルパソコンが販売になるという記事を見つけた。まさしく弱者のマーケット、弱者を覚醒するマーケットが今始まろうとしている観がある。創造的資本主義という言葉になるかは別として確実に新しい市場、それも人間の根本を見据えた価値観からくるマーケットが世界を変えていくことを暗示した出来事だろう。そして政治家として、この見えない流れをもう一度勉強し直さなければならないと感じたしだいだ。
ふと目をコンピューターラックの脇に向けると、使い慣れた携帯電話がある。自分は、はたしてワンセグ付きのこのハイテク携帯の何割を使いこなし又使う必要があるのかを考えてしまった。ひょっとしたら、「ナノ」ではないが携帯電話もただ通話ができメールができる機能しかないものが現れたならば、結構面白い商売になるのでは?と思ってしまった。そういう意味ではゴミをはじめとした無駄な、又、必用のないものまでも買う時代、即ち“行け行けどんどんの成長路線”が終わりを告げて、循環、見直し、現状維持社会の到来を告げているのかもしれない…

平成21年4月4日

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