神奈川県議会議員 鈴木ひでし 鶴見区選出 公明党

「戦いすんで、日が過ぎて」 衆議院選挙戦考(4)
日本の二大政党制ってほんと?

二大政党制について考えてみたい。
2月15日付けの毎日新聞夕刊の牧太郎編集委員コラム“大きな声では言えないが”に面白い文章が載っていた。

『日本の二大政党は諸外国と違います。アメリカは貧富の差が大きく民族・宗教・文化も違い人々が集まった国だからです。だから共和党も民主党も「誰の利益」を優先するかで、全く違う方向を歩きます。ドイツの社会民主党とキリスト教民主同盟、韓国ハンナラ党と民主党...二大政党はすべて正反対の存在です。日本の場合、「誰の利益」を優先するか?という視点では似たり寄ったりですね。有権者は所得格差に不安を感じていますが、「自らの境遇」におおむね満足して「今より上質なサービス」を求める中間層と二大政党の“お客さん”は同じ層なのです。今回は自民党の能力に疑問を感じた有権者が“反対票”を投じ、第2自民党が勝利したということでしょう。民主党には小沢さんのような保守派もいれば、旧社会党の左派までいます。しかも、流儀は大分違うけれど、その本質は保守の自民党と同じバラまき政治。選挙区の事情で自民党から立候補できなかった人が民主党から何人も立っています。二年前には「自民・民主大連立」が実現しそうになったじゃありませんか。二大政党は似た者同士。議論はいつか形骸化し、緊張感のない国会。その中で求められるものは、むしろ少数党の存在ではないでしょうか。」

この内容、社民党が連立政権の中に入ったことについて触れ、“みずほさん、なぜ結婚”というタイトルを使い、連立入りを揶揄した文章だ。
しかし、内容は、現在の政治を的を射た視点で見ていることに感心をした。
選挙制度が小選挙区制であるが故に二大政党制は既成の事実とされるが、諸外国との比較の中で、本当の意味での二大政党制がこの国に根付くのかという問題が話題としてあがる。その話題が、ひいては「小選挙区制」を廃止し「中選挙区」の復活という問題になる。
考えてみれば、小沢氏をはじめとして今の民主党の執行部も自民党経世会の再来だといってもおかしくない。鳩山幹事長、岡田外相も然り....。

牧氏が言うように「お客さんは同じ」であるならば、サービスの質・量が争点になっていく。この観点から見てみると、他国とは違う二大政党制の利点をどう出していくかも試される政権と言えるのではないかと思う。
一方、民主党が唱える「官僚政治打破」とはいかなるものか。
見えてこない。

過日、日本経済新聞 平成21年7月24日付けコラム「大機小機」に載った文章が忘れられない。

『自民党の官僚に対するスタンスが見えてこないが、「政権を取ったら局長以上と幹部人事を一から見直す」と声高に叫ぶ民主党の鳩山由紀夫代表の発言もいただけない。専門家としての官僚の仕事は簡単に実態を見破れるほど単純ではない。専門家は書類に記されていない、書類に記し難い本質を知っている。暗黙知と呼べる能力だ。容易に数値化できない大事な概念にも通じている。この二つを持つから専門家と呼ばれるのである。企業経営もそうだ。経営学者がすぐに企業を経営できるわけではない。長年企業の内部で頑張った後に昇進した取締役は、通常、会社の実態を把握していないし、その能力もない。力を発揮できるのは戦略アドバイスくらいだ。行政も同じだ。餅は餅屋で専門の官僚にまかせ、政治家は専門家の能力を最大限に生かす姿勢で臨むべきだ。行政改革の問題は専門家である官僚が、マックス・ウェーバーのいう『精神のない専門人」に堕落してしまったことに尽きる。厚生労働省の度重なるスキャンダルに象徴されるように、国益に沿うという志と使命感を置き去りにして内部崩壊した。それを正せるのは官僚だけである。日本の官僚制の原点は明治時代前期の内務省などの制定であった。以来、我が国の官僚は国益の実現に邁進した。戦後も政治の55年体制ができる前の1950年代前半、政界の嵐をよそに、官僚は日本の復興と発展のために、その意図を強力に推進した。国益のために奔走する「官僚たちの夏」があった。威張っていると言われてもちゃんと本務を果たしていた。その後、「省益」を守るなどという官僚の本質にそぐわない現象がはびこるようになったあたりから、内部崩壊の兆しがでてきた。そして、人材の劣化と過信の複合作用から今日の事態に至っている。外国と比べ日本も官僚の国際競争力やいかに、といった問題提起が時々出てくるが、そのような議論は不毛である。我々は、自国の状況を判断するにあたり、他国の状況の誤解を基準にして、何度、国の方針を誤ってきたことか。今は、国の進路が厳しく問われているにもかかわらず、「王なき乱世」だ。使命感で邁進する官僚の原点回帰と奮闘を期待する。』

二大政党制という名のもとに、政権の交代が頻繁に起こるようになれば、事務方のトップとなる官僚たちの考え方や動きも大きく変わっていくことだろう。しかし、このコラムがいみじくも指摘しているように、優秀な日本の官僚組織をどう使っていくかは政治家の実力であるということだ。

(続く)
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