神奈川県議会議員 鈴木ひでし 鶴見区選出 公明党

当たり前のことを当たり前にすることの難しさ?(1)

米国のサブプライムローンから発した「100年に一度」と言われる経済危機はリーマンブラザースショックの勃発と共に世界中を混乱の海に引きずり込み、一時期、円高も90円を完全に割り、どこまで円は上がり続けるのかといわれているうちに、あれよあれよと言ううちに今度は円安にふれはじめました。
現実に日本経済は第3四半期のGDPが、年率12.7%となり、100年に1度の危機といわれるような、急速に悪化する世界景気の中で厚生労働省の調査でも、3月末までの半年間に職を失ったか、失うことが決まっている       非正規雇用労働者が、15.8万人と急増し、1月の有効求人倍率0.67と5年4ヶ月ぶりの低水準となりました。
また最近のマスコミの論調も昨年の世界で唯一、米国発の経済危機に深い傷を負わなかった日本という言い方が、一転、国際的にも大変に厳しい位置にいることを警告する記事が多くなったように思います。
そして、この現状を招いたのは政治の停滞、政治家の無策にその原因があると訴える評論家が、毎日のように新聞ラジオそしてテレビに出ています。
そのような中、産経新聞1月19日号の一面のコラムに、元財務相の塩川正十郎氏が面白い歴史の例を引き、この問題に一石を投じています。
(以下、抜粋)

1975年頃、米国の弁護士ラルフ・ネーダー氏が車の排出ガス規制を強化しCo2(二酸化炭素)を半減すべしとキャンペーンを張り、公害反対の一大市民運動は世界に展開された。米国側、主にビッグ3は、この運動の不当性と公害実証の不当性を訴え、1000人の弁護士を動員して対抗すると声明した。日本側の豊田英二・自動車工業会会長は、公害問題は自動車にとって将来の最大課題であるから自動車100人の優秀な学者と技術者に研究してもらって、排ガス規制に協力した。日本側はメーカーの社運をかけて改善に取り組んだ結果、燃費の改善や排ガス浄化などの技術改善に成功し欧米車より優れた車を生産できた。この努力差が今日の日米自動車産業の差となっている。公害論争が日本に大きい。チャンスをもたらしたのだ。

平成21年2月12日

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