神奈川県議会議員 鈴木ひでし 鶴見区選出 公明党

新潟中越地震の地を視察して

7月30日、他の3人の公明党県議会議員と共に新潟県長岡駅を降り、新潟県中越沖地震の中心となった柏崎市を目指して車を走らせた。前日の参議院議員選挙の悔しい結果が、未だに心に重く残る視察でもあったが、県議会議員として、また防災士として一刻も早く

  1. 震災の地を尋ね鶴見区民の、横浜市民のそして神奈川県民の方々に少しでも防災と言う観点から今後、必ず来ると言われている東海地震や神奈川県西部地震に役立つ情報があれば
  2. ボランティアとして柏崎市民の方の少しでもお手伝いが出来れば

との思いで現地に向かった。

長岡市内から地蔵トンネルを出た途端に道路の異変に気づいた。同時に少し走ると瓦屋根が崩れ落ちた民家が次々と現れ被災地、柏崎に入ったと認識させられる光景を目の当たりにした。
まずはじめに震災時にメディアが大々的に取り上げた柏崎刈羽原子力発電所を訪れたが、物々しい警戒のため写真を撮ることさえできずに現地を後にせざるをえなかった。国家戦略としての原子力発電所と言う位置付けは分かるが、あまりの物々しさの裏にある「完全に密室の世界」と言うものに抵抗感さえ覚えた。誰も入れない世界だが故に、誰も見たことが無い。だから信じるしかない、と言うのが今までの住民の方々の思いではなかったのか。それが、今回の震災で、その安全性が根底から崩れる事態に遭い、住民の方々の怒りはどれだけのものであるかを、思い知らされた視察であった。

次に、立て続けに3ヶ所の特別養護老人ホームを訪れた。なかなかマスコミでも取り上げることの無い、この特養の内実は凄まじく震災時には定員の2倍から3倍のご年配が入所し、廊下や食堂などにもベッドを入れての対応をされていた。しかし、このような施設に入れたお年寄りはまだいい。訪れた避難所の行動の裏の教室には、身寄りのないご年配の方々が本当の地元のボランティアの方々によって介護を受けている実態を見て、被災された方々への対応を様々な角度から考えなければならないと感じた。
一方、避難所の中は想像を絶するほどの状況であった。3年前の新潟県中越地震の視察の際は、すでに避難所は閉鎖されており、訪問をすることはできなかった。しかし今回の避難所訪問で

  1. 行動と言う板の間の上に長時間いることに対する健康面での不安
  2. 日中でさえ人が多いと感じる中で、夜になるとご主人が帰ってくるご家庭もたくさんあり、長時間プライバシーのない生活を続けることに対するストレス
  3. 偶然にも、我々が訪ねた日は曇りで温度はすごしやすかったが、この連日の猛暑をどう過ごされているのか。

等々、思いをはせた。物見遊山のような視察だけは避けたいと思い足早に避難所を出た。2ヶ所目の避難所では、大きなナイター設備の電機灯(?)が崩れ落ちている現場(写真)をみて改めて震災の恐ろしさを認識した。
今回の視察で忘れてはならないことは、自助の啓蒙をとにかくやらなければならないということだ。自助とは、震災に備えて自らの行動をすること、いうなれば家具の転倒防止や非常食の準備などである。被災者の多くの方との話や、被災者の家を訪ねてみると、家の外見は何でもないのに、家の中はめちゃくちゃと言うのが現実である。壁にかけていたテレビが落ちて液晶部分が割れてけがをする人、冷蔵後が倒れて重傷を負った人達である。
政治家として、また防災士として今後、行政や区民、市民そして県民に、自助の大切さを話していかなければならないと、決意をした視察であった。

平成19年8月4日

「ダイアリー」一覧へ戻る